|
More ryutart!
最新の記事
以前の記事
2011年 12月2011年 05月 2011年 02月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 お気に入りブログ
検索
おすすめキーワード(PR)
Skypeボタン
ネームカード
ファン
|
仮想の敵。
しばらくの間blogの更新が止まってしまっていました。 このブログの大きな目的は筆者の滞在するロンドンのアート情報を筆者の生の視点でお伝えするというものですが、今回はロンドンから遠く離れた北アイルランドで思うアートそれにまつわる記事です。 訪れた町はbelfast。北アイルランドの最大の町で、豊かな自然と歴史、近年における経済発展をその景観より見る事ができます。 さて北アイルランドについて語る時どうしても話題になるのが北アイルランド問題。これは1960年䑓から70年代にアイルランドの独立問題また、選挙システムやカトリックとプロテスタントの対立といった事が人々の我信と憎悪が積み重なって起こってしまった問題です。現在もその名残が完全に消えた訳ではなく(誤解のないように付け加えますが、武力的な紛争や政治手段等は解決が図られ、観光客も多く今は至って平和な雰囲気が町を包んでいるのも事実。)町の景観にもある種の政治的‘雰囲気’を感じさせられます。具体的にいえば例えば町の中心部から少し離れたとこりには日本でいう運動会の世界国旗の飾りがごとくグレートブリテンの旗が飾ってあったり、プロテスタント(プロテスタントという言葉は幾数もある反主流派もしくは少数派キリスト教の総称の意味)と憶わしき家の出窓にはそれそのルールに従ったお飾りがあったりという風です。そういう事にいちいち敏感にならなくとも観光スポットを外れると妙な感覚、筆者的にいえば政治的過激派の匂いをそこに吹く風でもって体でヒシヒシと感じるといったところでしょうか(このわかりにくい表現だと伝わらないかとおもいますけど・・・)。 どうしてでしょうか、いやもしかしたら当たり前すぎて疑問にも持つべきではないのかもしれませんが、こうした近年における政治的歴史の舞台となったような場所ではアートもとても政治的になります。世の中には色んな種類の政治に関わるアートがあるので一概にいえませんがとりわけ政治に対する精神的成長度の未熟な地域ほどよりプイリミティブ(ここでは少し皮肉な表現として)な政治的発言がまたよりダイレクトに表現に表れてきます。 ![]() ![]() ![]() ![]() しかしながら時間が事を風化させるのがやはり人間の物事に対するリアリティなので上の写真のグラフティの内容も少しずつ元来のものとズレていくのでしょう。 ここでふと思った問題それが人は常に「仮想の敵」をつくるという事です。これはもっといえば人間の戦闘本能という部分と関わっているという題です。何かと戦う事は一人の人間の中では挑戦でありモチベーションを奮起するのにとても重要なマインドレベルです。アメリカのブッシュ元大統領は世界中の敵でした。不自然なほどに。しかしブッシュ政権において彼らはフセイン元大統領を敵としました。強引に。私たちアジア圏では中国や韓国は日本を敵対視しています。時にライバルとして、時に教育として。日本は経済的に劣る両者を見下しそしてナンセンスだと主張します。そしてそういった時代が20世紀最後の頃に意味がなくなってくると北朝鮮を敵としました。 ここまではスケールの大きい話ですが、仮想の敵を作ってしまうのは小さな共同体でも起こりうる事です。クラスではいじめられる子がいます。いじめ(いじめの定義も曖昧なのですが)のないクラスは共同体の機能が働いていないのかもしれませんが、とにかくなにか共同対全体として目標立て機能的に運営しようと思うとそれについていけない人が出ます。そして時に共同体の機能失わないようについていけない者を仮想の敵とするのです。 仮想の敵を作る人間。これはこのブログにとって教育と並ぶ一つの大きなテーマかもしれません。 by rita-net | 2009-10-06 04:52
| ||||||||||||||||||||||||||||||